中道の実務的定義
中道の実務上の定義を、次のように考えました。
定義1:中道とは、正しい目的を達成するために役に立つ行ないである。
定義2:中道とは、するべきことをして、してはならないことはしないことである。
今回は、この定義について、考えを進めてみたいと思います。
するべきことをする
原始仏典に「為すべきことを為す」「為さざるべきことを為さない」という教えがでてきます。「するべきことをする」「してはならないことはしない」と言い換えてもいいと思います。
「するべきこと」は、その時、その場のシチュエーションと、自分の立場に応じて、「本当に適切な、要点にぴたりと当たる」言動であると考えられます。
要点から外れたことは、「しなくてもいいこと」であり、ときには「してはならないこと」でありましょう。
ここから、「中道とは、するべきことをして、してはならないことはしない」という定義が得られます。
するべきことが分かる
自分が、その場で、するべきことをするためには、いくつかの条件が必要になります。
まず、その場で、自分がするべきことが分かることです。また、してはならないことがわかることです。
次に、この場では、自分は、これをするべきだと分かったら、それを行なう行動力があることです。また、この場では、自分は、これをするべきではないと分かったら、それを行なわない自制心があることです。
するべきことが分かり、してはならないことが分かる。そして、するべきことを行ない、してはならないことは行わない。こうした能力を智慧と言います。
自分が、その場で、するべきことをするためには、何よりも智慧が必要なのです。
知慧
その場における自分の立場で、自分のするべきことが分かっただけでは、智慧があるとはいえません。自分のするべきことを、具体的な行動に移す力も含めて、智慧と言います。
また、その場でしてはならいことがわかっただけでは、智慧があるといえません。自分がしてはならないことをしない自制心も含めて、智慧と言います。
自分のするべきことが分かったけれど、それを行なうスキルがなかったならば、何もすることができません。そのときは、周りに声をかけて、スキルのある人に名乗り出てもらい、行なってもらうという方法を考えることになりましょう。こういう機転も、智慧のはたらきです。
智慧のあることが、どれだけ重要であるかが分かります。
智慧を育てる
智慧は、日頃から育てておくべきものです。仏教は、智慧を育てる道を説く教えであるということもできます。仏教が説く、戒学・定学・慧学の三学は、そのための教えです。
これについては、稿を改めてお話させていただきたいと思います。