仏教の信仰ー信頼から帰依へ

諸行無常・諸法無我ワールド

宗教と信仰

宗教は信仰で成り立っています。信仰は、宗教ごとに異なっています。それぞれの宗教において、信仰の対象、信仰の仕方、信仰の功徳などを学び、自分に適した宗教を選んで信仰するのがよいと思います。

三宝帰依と三帰五戒

宗教は信仰で成り立っているという観点に立てば、仏教も宗教のひとつになります。仏教の信仰は、「三宝帰依」と言われ、また「三帰五戒」と言われます。

三宝帰依とは、仏宝に帰依し、法宝に帰依し、僧宝に帰依することです。仏とはお釈迦さま、法とはお釈迦さまがお説きくださった教え、僧とはお釈迦さまの教えを修習する修行者たちです。それぞれ尊いので「宝」として敬っています。

三帰五戒は、仏宝に帰依し、法宝に帰依し、僧宝に帰依し、五戒を実践することです。五戒とは、不殺生戒・不偸盗戒・不邪淫戒・不妄語戒・不飲酒戒の五つの戒です。

私は、「三帰五戒」のほうが、仏教の信仰として相応しいと考えています。お釈迦さまは、現実生活の中で、正しい行ないをして幸せになることをお説きくださいましたので、現実生活の中での実践が説かれている「三帰五戒」のほうが、お釈迦さまのコンセプトに合っていると思うからです。

帰依する

単に信じているだけでなく、自分のすべてをお任せするという境地にいたった帰依が信仰の極致だと思います。仏教の信仰は帰依にあると思います。

仏さまの教えを学んで、いままで自分が思ってきたこと、考えてきたこと、行なってきたことが、仏さまの教えから外れていると分かりましたら、そのすべてを捨てて、仏さまの思うように思い、仏さまが考えるように考え、仏さまがなさるように行なうのです。これが仏教における帰依のありかたです。

教えを実践すれば、何らかの結果が出ます。このとき、あの結果が欲しい、この結果が欲しいと注文をつけることはしないのです。どのような結果が出ようとも、すべて仏さまのお手配として受け入れるのです。これが、お任せするということです。これも、仏教における帰依のありかたです。 仏教における帰依は、こういう内容であり、このように帰依することが、仏教の信仰であると言えます。

帰依の入り口は信頼

仏教における帰依は、信頼から始まります。仏を信頼し、信頼が深まって帰依にいたります。法を信頼し、信頼が深まって帰依にいたります。僧を信頼し、信頼が深まって帰依にいたります。

信頼するには、それなりの根拠があります。仏を信頼する根拠、法を信頼する根拠、僧を信頼する根拠があります。根拠をもって信頼し、根拠が深まって信頼が深まり、ついに帰依にいたるのです。 阿含経には、仏宝・法宝・僧宝のそれぞれについて、深く信頼できる根拠が示されています。

仏宝を信頼する根拠

仏さまとは、お釈迦さまのことですが、阿含経には、お釈迦さまを信頼し、尊敬し、帰依する根拠が、讃嘆の形で述べられています。

経文には「応供・正遍智・明行足・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人師・仏・世尊」とあります。

お釈迦さまは、奥深い智慧・慈悲・実践によって、貪欲・瞋恚・愚痴のために苦悩する人びとを救い、真に人間らしい生き方に導いてくださる尊い方であると、感動を込めて表現されています。

法宝を信頼する根拠

法とは、お釈迦さまがお説きくださる教えですが、阿含経には、法を信頼し、尊敬し、帰依する根拠が説かれています。

私たちは、諸行無常・諸法無我ワールドで生活を営んでいます。諸行無常・諸法無我ワールドは、ものごとが関係しながら変化する世界です。お釈迦さまはこれを、縁起の法として説いてくださいました。

経文には、「法は世尊によってよく説かれた」とあります。信頼し帰依するお釈迦さまがお説きくださった法ですから、それだけで信頼できます。しかし、これだけでは法そのもののことが分かりません。

経文には、「法は現に証せられるもの」とあります。理論と実際が一致するということです。教えのとおりに実践したら、教えのとおりに結果が出るということです。これが、事実なら、法を信頼する根拠の核心となるでありましょう。

また、「法は、時をへだてずして果報あるもの」とあります。教えのとおりに実行したら、教えのとおりの結果が、すぐに出るというのです。これまた事実なら、法を信頼する心が深まるにちがいありません。

経文は、「来たって見よ」と言います。自分の目で見てくださいというのです。これは、自分で経験して確かめてくださいということです。科学の理論は追実験によって確かめられますが、お釈迦さまも、追実験をして確かめてくださいとおっしゃっておられるわけです。

東京理科大学で物理学を学んだ私は、仏さまの教えのうち四諦の教えを、数年にわたって観察し実効性を研究しました。そして、教えのとおりであることを確認しました。これによって、私の四諦に対する信頼が確立し、ひいては、お釈迦さまのお説きくださる法に対する信頼が確立し、帰依するにいたりました。

僧宝を信頼する根拠

僧とは、お釈迦さまの教えを修習する修行僧たちの集まりです。

経文には、修行僧について、「善く行ずる、直(なお)く行ずる、正しく行ずる、うやうやしく行ずる」とあります。その修行態度が、信頼の根拠のひとつになっています。

修行僧たちも、お釈迦さまに出会うまでは、貪欲・瞋恚・愚痴に生きる人びとでした。その人々が、お釈迦さまの教えで立派な人格者になりました。この事実を人びとは目にしています。これが、信頼の根拠になっていることは間違いありません。

歴史上の僧侶たちの中にも、立派な方々が少なくありません。僧侶ばかりでなく一般の方々の中にも、立派な信仰者が人々の尊敬を集めている例があります。こうした事例も、信頼の根拠になっていると思います。

戒の実践

仏宝に帰依し、法宝に帰依し、僧宝に帰依した修行者は、戒を実践します。 仏宝であるお釈迦さまがお説きくださった法宝である教え。 僧宝である修行者たちが修習する法宝である教え。 この教えに自分も帰依し、実践するのです。これが、仏教の信仰であると言えます。

法宝を実践すると、結果がでます。自分の中にある貪欲・瞋恚・愚痴が消えていきます。そして、自分の人格が向上します。そこに真の人間として生きる自分が立ち現れ、人びとのために自分の為すべきことを行なうようになります。これは、自己実現にほかなりません。

こうして、仏教の信仰は、自分の人生を充実したものにしてくれるのです。

仏教の信仰

仏教の信仰は、仏宝・法宝・僧宝に帰依して戒を実践することである。その功徳は、自分の中の貪欲・瞋恚・愚痴が無くなり、人さまのために自分の為すべきことを為し、人間的に成長することである。 私はそのように理解しています。                                        私は、仏教は、揺るぎない根拠を持つ信仰で、成り立っていると思っております。

浪 宏友(本名:中原常友)
詩人・仏教研究家・経営コンサルタント
妙法蓮華経と原始仏教を学び続けて70年
宗教ではない仏教「ビジネス縁起観」を開発
1940年(昭和15年)生

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