第二の矢
ある日、お釈迦さまは、お弟子たちに向かって、こんなお話をなさいました。内容をかいつまんでご紹介いたします。
お釈迦さまの教えを聞いたことがない人が第一の矢を受けます。例えば、病気をして痛さや苦しさを感じます。お釈迦さまの教えを聞いて修行しているお弟子が第一の矢を受けます。例えば、病気をして、痛さや苦しさを感じます。この点においては、両者は同じように第一の矢を受けて、痛さや苦しさを感じています。しかし、両者には違いがあります。
お釈迦さまの教えを聞いたことがない人が病気をして、痛さや苦しさを感じますと、痛い、苦しいと言って心を乱すでしょう。これは、痛さ苦しさという第一の矢を受け、その上、心を乱すという第二の矢を受けたということです。
お釈迦さまのお弟子も、同じように痛さ苦しさを感じますが、心を乱すことはないでしょう。これは、痛さ苦しさという第一の矢を受けたけれども、心を乱すという第二の矢は受けなかったということです。
このお話を学んだ私は、第一の矢を「苦痛」、第二の矢を「苦悩」と呼ぶことにしました。
お釈迦さまの教えを学んだことがない人も、お釈迦さまの教えを修習している人も、第一の矢である「苦痛」は同じように受けるのです。
第二の矢である「苦悩」は、お釈迦さまの教えを聞いたことがない人は受けますが、お釈迦さまの教えを修習している人は受けないのです。
同じ困難の中で
そう言われれば、思い当たる節があります。
そこに居合わせた人が、同じ困難に出会ったとき、ある人はおろおろとうろたえ、ある人は怒鳴り声をあげ、ある人は自分だけは助かろうと卑劣な行為に走り・・・。そんな中、事態を静かに受け止めて、みんなが助かる道を考え、提案する人がいます。
そこに居合わせた人全員が遭遇している困難を「苦痛」とすれば、多くの人は、さまざまな形で「苦悩」していることが分かります。そのなかに、「苦悩」することなく、「苦痛」から脱出する道を冷静に探す人がいるというわけです。そのような人のリーダーシップで、全員が助かるという話が、観音経にあります。
二つの矢
苦痛と苦悩という二つの矢は、次のように区別できます。
第一の矢である苦痛は、肉体的なもの、社会的なもの、環境的なものなどであり、心の外からくる苦痛であるといえます。
第二の矢である苦悩は、心の苦悩です。仏教経典には、「嘆き・悲しみ・苦しみ・憂い・悩み」とあります。第一の矢である苦痛を受けると、心に第二の矢である苦悩が生じるのです。つまり、第二の矢は、自分の心がつくり出しているのです。
苦痛と苦悩は別ものなのですが、世間では、区別されないことが多いようです。
苦痛・苦悩への対処
苦痛や苦悩が生じたら、対処する必要があると思います。このとき、用いられる教えが、四諦です。苦痛でも、苦悩でも、四諦の教えに当てはめて、丁寧に分析すれば、どう対処すればいいのかが分かります。対処法が分かれば、後は行動するだけです。
第二の矢である心に生じる苦悩も、四諦の教えで主体的に取り組めば、解決へ向かうことができます。

