諸行無常・諸法無我ワールドで苦悩する

諸行無常・諸法無我ワールド

諸行無常・諸法無我ワールド

私たちは、諸行無常・諸法無我ワールドに生きています。

諸行無常・諸法無我ワールドは、関係しながら変化する世界です。ここには、調和しよう、発展しようという方向性がはたらいています。

思いに任せぬ苦しみ

多くの人びとが、諸行無常・諸法無我ワールドで苦悩しています。

人びとの苦しみを一言でいうならば「思いに任せぬ苦しみ」となるでしょう。「思いに任せる」とは、「思いのままになる、望んだ通りにものごとが進む」ということです。思いに任せていれば、苦悩は生じないでしょう。

「思いに任せない」とは、「思いのままにならない、望んだとおりにものごとが進まない」ということです。思いに任せないときに苦悩が生じるのです。

諸行無常で思いに任せない

「諸行無常」とは、「あらゆる存在は変化する」という真理です。 「真理」とは「あらゆる存在がそうなっている」ということです。

ものごとはどんどん変化します。変化の仕方が思いに任せればいいのですが、なかなかそうもいきません。思いに任せない変化が起きると、そこに苦悩が生じます。

人は、ものごとが、自分の思い通りに変化して欲しいと思います。しかし、ものごとは、自分の思い通りに変化するのではありません。ものごとは、法則の通りに変化します。

法則通りの変化が、自分の思いに一致していればいいのですが、自分の思いと一致していなければ、これが思いにかなわぬ変化であり、苦悩が生じるのです。

諸法無我で思いに任せない

「諸法無我」とは、「あらゆる存在は、他の存在と関わり合って存在している」という真理です。人で言えば、「あらゆる人は、他の人と関わり合って生きている」ということになります。「人は一人では生きていけない」と言ってもいいと思います。

諸法無我の世界では、いろいろな人と出会います。思いに任せる人と出会っているときは幸せだと思います。しかし、出会いたい人と出会えないこともあります。そこに苦悩が生じます。

自分は、思いに任せない人とも関係し合っています。巡り合わせがあれば出会わないわけにはいきません。そこに苦悩が生じるのです。

四苦八苦

仏教では、思いに任せぬ苦しみを、四苦八苦として説いています。 四苦とは「生苦・老苦・病苦・死苦」、これに「愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五陰盛苦」を加えて、八苦と言います。

生苦(しょうく) 娑婆世界に生まれる苦しみです。娑婆世界とは、いうなれば、思いに任せないことばかり起きる世界です。極楽世界に生まれるのなら喜びがわくでしょうが、さまざまな困難に耐えながら生きていかなければならない娑婆世界に生まれるのではとても喜べないでしょう。

老苦(ろうく) 肉体的にも老い衰え、精神的にも老い衰え、社会的にも衰退します。思いに任せぬことが起きてもどうしようもありません。

病苦(びょうく) 病気や怪我で苦痛を味わうばかりでなく、思うように活動できない苛立ち、周囲から取り残されていく焦りなどに苦悩します。

死苦(しく) 自分の命が失われるという恐怖、死にたくないというもがき、死後に何が待っているのか分からない不安などに苦悩します。

求不得苦(ぐふとくく) 欲しいものを求めても手に入らないという苦悩です。物もお金も手に入りません。社会的地位も手に入りません。人の心も手に入りません。求めるものが手に入らない苦しみが「求不得苦」です。

愛別離苦(あいべつりく) 人は、いつも自分の愛する人と一緒に居たいと思います。しかし、どうしても離れなければならないとなると、苦悩が生じます。これを「愛別離苦」と言います。

怨憎会苦(おんぞうえく) 人は、嫌な人とは出会いたくないと思います。しかし、出会うことがあります。ここに苦悩が生じます。これを「怨憎会苦」と言います。

五陰盛苦(ごおんじょうく) 「五陰盛」とは、心身が活動していること、すなわち生きていることを言います。人間として生きている限り、思うに任せないことが次々に生じ、苦悩の種は尽きないという苦しみです。

何故苦悩するのか

人は、諸行無常・諸法無我ワールドで、思いに任せぬ苦しみを受けます。どうしてそんなことが起きるのでしょうか。

仏教の四聖諦という教えでは、人が苦しむのは、その人の中に渇愛があるからだと言います。 渇愛とは、のどが渇いた人が、水を激しく求めるように、ものごとを求める強い欲求です。

人は、自分が幸せになりたいために、ものごとを求めます。 幸せを求めるのは良いのですが、渇愛があると、求め方を間違えてしまうのです。そのために、かえって苦悩を生んでしまうのです。

諸行無常・諸法無我ワールドは、関係・変化の世界であり、調和と発展という方向性を持っています。渇愛は、この方向性に合わない求め方をするので、苦悩が生まれてしまうのです。

渇愛の内容

仏教でいう「渇愛」は、「貪欲・瞋恚・愚痴」の三毒を内容としています。

愚痴であるために、自分の生きている世界が諸行無常・諸法無我ワールドであることを知りません。このため、諸行無常・諸法無我ワールドの方向性──調和と発展という方向性を知りません。これは、幸福を得る道を知らないことを意味しています。

貪欲とは、肥大化し歪んでしまった自分本位の欲望です。貪欲は、必要以上に求めます。求めてはならないものを求めます。求めるものが手にはいっても満足することがありません。もっともっとと求めます。したがって、常に、求不得苦の中にあるのです。

瞋恚とは、自分本位が満たされないと感じたときに生じる怒りです。不平不満という軽微な怒りから、感情が爆発して手が付けられないような激しい怒りまであります。 こうして、渇愛は、自分本位の感情で、わがまま、身勝手な行ないを繰り返していくのです。

苦悩からの脱出

苦悩は渇愛──貪欲・瞋恚・愚痴の三毒を原因として生まれるのですから、原因を根絶してしまえば、二度と生じなくなります。

お釈迦さまは、貪欲・瞋恚・愚痴を根絶する道として、四聖諦と八正道をお説きくださいました。大乗仏教では、人間関係を重視した六波羅蜜が説かれました。 四聖諦・八正道・六波羅蜜を、学び、理解し、信頼して実践すれば、貪欲・瞋恚・愚痴を滅することができます。

これが、お釈迦さまがお説きくださった、苦悩から脱出する道です。

浪 宏友(本名:中原常友)
詩人・仏教研究家・経営コンサルタント
妙法蓮華経と原始仏教を学び続けて70年
宗教ではない仏教「ビジネス縁起観」を開発
1940年(昭和15年)生

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