お釈迦さまの教え(法)の特色

仏教

仏教における「法」の意味

 「法」という言葉は、仏教経典で、いろいろな意味に使われています。その中でも重要だと思われるものを見てみましょう。
 ・ものごと
  「諸法無我」における「法」は「ものごと」という意味です。
 ・教え
  「お釈迦さまは法をお説きになった」というときの「法」は「教え」という意味です。
 ・真理
  「縁起の法」というときの「法」は「真理」という意味です。
 ・善い行ない
  「法を実践する」というときの「法」は「善い行ない」という意味です。

お釈迦さまの教え(法)の特色

 お釈迦さまのお説きくださる法の特色が阿含経に説かれています。この場合の「法」は「教え」という意味です。
 法の特色は次の通りです。
・法は世尊により善く説かれた
 ・法は現に証せられるものである
 ・法は時をへだてずして果報あるものである
 ・法は〈来たって見よ〉というべきものである
 ・法はよく涅槃に導くものである
 ・法は智者のそれぞれみずから知るべきものである

法は世尊によりて善く説かれた

 お釈迦さまは、法を聞く人が正しく理解できるように、理解した法を生活の中で実践できるように、法を聞く人の力に応じ、事情に応じて、さまざまに説き分けられました。それが、善く説かれたということです。
 お釈迦さまは、人びとに法を実践させてあげたいというお心から、このように、懇切丁寧に教えをお説きくださったのです。

法は現に証せられるものである

 証せられるとは、正しいことが証明されるということです。
 法を学んで理解して実行したら、現実に法の通りになった。これで、法の正しいことが証明されます。
 お釈迦さまは、ご自分の悟りの中から、厳選して、四聖諦と八正道をお説きくださいました。お釈迦さまの法ですから、鵜呑みにしてもいいように思われますが、そうではないというのです。
 お釈迦さまから教えていただいたことを、自分で学び、理解し、実践して結果を出し、確かに法の通りになると自分の目で確かめることが求められているのです。このようにして確信に至った法であるからこそ、自分の一生を預ける拠り所とすることができるのです。

法は時をへだてずして果報あるものである

 「時をへだてる」とは「時間が離れる」ということです。「時をへだてず」とは、「時間が離れない」ことです。
 「時をへだてずして果報ある」とは「法を実践している時に果報がある」ということです。法を学び、理解し、実践すると、そこに果報が現れるのです。
 法を実践しますと、自分の人間性が向上します。法を実践している時に向上するのです。法の実践をやめれば、人間性の向上は止まります。
 人間性が少しでも向上しますと、周囲との関係が改善されます。これによって身のまわりの現象も改善します。現象の改善が目に見えるまでには、間が空くこともありますが、結果は出始めているのです。

法は〈来たって見よ〉というべきものである

 来たって見よとは、自分で実行して現実に体験してくださいということです。
 法を聞いているだけでなく、内容を理解し、現実に実践して、その成果を自分で確かめるのです。
 法の救いを自ら体験し、実感した人は、自分も法を身につけたい、法を実践しながら人生を送りたいと思うものです。
 そのまま法の実践の修行に入りますと、そこから人生が変わってきます。ほんとうの意味で、自分らしく生きる道に入ることができるからです。

法はよく涅槃に導くものである

 涅槃とは、迷い苦しみの原因である貪欲・瞋恚・愚痴を捨てて人格が向上し、自己実現をしながら人びとのお役に立つ人生を歩むようになることです。
 四聖諦、八正道などの教えを学び、理解し、実践することによって、貪欲・瞋恚・愚痴などの迷いが無くなり、一歩一歩、人格が向上するのです。
 人格が向上し、涅槃といわれる境地に入った人の心境は、安らかであり、躍動的であり、喜びに満ちているのです。

法は智者のそれぞれ自ら知るべきものである

 智者とは智慧のある人です。智者であれば、自分の意思で、法を学び、理解し、実践して、身につけることができます。
 智慧は、法を実践することによって得ることができます。法を実践して智慧を得、その智慧でより次元の高い法を学び理解し実践して更に智慧を得るというふうにして、だんだん智慧が深まります。こうして、より深く、より広大な法が身についてくるのです。

善い行ない

「法」の意味のひとつは「善い行ない」です。「法を実践する」というときの「法」は「善い行ない」という意味です。善い行ないとは、八正道の実践を指しています。
 「八正道を実践すれば幸せになる」と考える人が多いようですが、本当は「八正道を実践できていることが幸せ」なのです。
 「善因善果」の法則から見ますと、八正道を実践することは善因を作ることです。その後には善果が続きます。
 善果の内容は二つあって、ひとつは豊かな生活であり、もうひとつは引き続き八正道を実践できることです。
 八正道の実践を続けていれば、求めなくても幸せになるのです。

浪 宏友(本名:中原常友)
詩人・仏教研究家・経営コンサルタント
妙法蓮華経と原始仏教を学び続けて70年
宗教ではない仏教「ビジネス縁起観」を開発
1940年(昭和15年)生

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