仏とは、お釈迦さまです。修行者からみれば、師匠です。
仏に帰依するとは、仏さまを心から信頼し自分の人生の拠り所にすることです。
お釈迦さまを讃える
修行者たちは、お釈迦さまを次のような方であると讃えました。
お釈迦さまは、すぐれた人徳を供えていらっしゃるお方である。
お釈迦さまは、すぐれた智慧を具えていらっしゃるお方である。
お釈迦さまは、すぐれた実践をなさるお方である。
お釈迦さまは、人々をお導きくださるお方である。
お釈迦さまは、人々が仰ぎ見てお慕いするお方である。
修行者たちは、お釈迦さまをこのように讃えて、心から信頼し、ご指導を受け、教えを学び、教えを実践するのです。
教えを説いてくださる方
仏教の中心は「法」です。
自分の意思で、法を学び、理解し、実践することによって、苦悩から救われ、幸福を得ることができるのです。
そのためには、法を学ばなければなりません。法を学ぶためには、法を説いてくだる方を得なければなりません。お釈迦さまは、まさしく、私たちに、法を説いてくださる方なのです。法を説いてくださるお釈迦さまを信頼し、拠り所として、私たちは法を学ぶことができるのです。
師を選ぶ
しかしながら、現代では、お釈迦さまから直接教えを聞くことはできません。お釈迦さまの説法として残されている仏典を読むほかありません。しかし、仏典は難しくて、理解するのは困難です。こうなりますと、お釈迦さまの教えを知っている方から教えていただくほかありません。
そこで、現代における「仏に帰依する」は、「正しい教えを説いてくださるおおもとのお釈迦さま」に帰依する気持ちで、「お釈迦さまの教えを正しく説いてくださる方」をみつけ、師と仰ぐということになると思います。 「三年勤め学ばんよりは三年師を選ぶべし」ということわざがあります。自分が師事すべき師は、この方に間違いないと確信できるまで、師を探し求めるべきであるというのです。
私は、父母に導かれて庭野日敬師に出会い、庭野日敬師に導かれてお釈迦さまに出あい、庭野日敬師のご著書に導かれながら、お釈迦さまの教えを修習してきました。それは、現在も続けています。
この経験を踏まえて、私は、皆さまに、まずは、お釈迦さまを師とすることをお勧めしたいと思います。その上で、お釈迦さまの教えを正しく説いてくださる方を見つけて、直接の師とすることをお勧めしたいと思います。世間には、そういう方が少なからずいらっしゃると私は思っております。(参照⇒人生のための信仰)