コミュニケーション

ビジネス

コミュニケーションが足りない

 「うちの会社は、コミュニケーションが足りない」
 こんな嘆きを耳にするのは、珍しいことではありません。経営者が嘆きます。管理職が嘆きます。そして平社員もやっぱり同じようなセリフで嘆きます。
 「連絡が遅いんだから、間に合わないじゃないか」
 「どうでもいいことは言うけれど、肝心なことは言わないんだから、やってられないよ」
 「ひとりで抱え込んでるから駄目なんだよ。言ってくれれば何とかするんだよ」
 会社の中で、こんな愚痴に出会うのは、さほど難しいことではなさそうです。
 愚痴の中身を検討してみると、自分が欲しい情報が伝わってこない、伝わってきたときには時すでに遅しだったというような不満があふれているように思われます。なかには、手元に届いている情報に気づかないで放置している例もありました。
 仕事は情報交換によって成り立っているという一面がありますから、情報が伝わらなかったり、伝わるのが遅れたりすれば、業務遂行上大きな障害になることは、当然考えられます。肝心な情報が流れ合わないと、チームワークを損ないますし、業務効率を下げます。そればかりか、対外的な信用を失う要因にもなりかねません。
 ところで、自分は大丈夫でしょうか。
 知らず知らずのうちに情報を伝え忘れてはいないでしょうか。伝えられている情報を受け取りそこねてはいないでしょうか。
そんなこんなで、自分が他の人の愚痴の対象になっているかもしれません。
 いーや、自分は、ちゃんとやっている、愚痴の対象になどなっていないと言い切れるでしょうか。
自分自身の日常を、ちょっと振り返ってみてもいいかもしれません。

コミュニケーションにならない

 人と人とが面と向かって話しをすれば、コミュニケーションはできているのでしょうか。どうも、そうでもなさそうです。「つまらないことはしゃべるけれども、肝心なことは言わない」とか「返事はするけれども、ちっとも分かってない」などと文句が出てくるところからも、話しをすることが必ずしもコミュニケーションになっていない様子がうかがえます。
 コミュニケーションのためには会話が必要です。この会話ができていなかったり、会話していても、肝心なことが伝わらなかったりすることが、しばしば起きているわけです。
 こんなときには、会話をしている両者の間になんらかのずれが生じている可能性があります。話題のずれ、問題意識のずれ、価値観のずれ、意思のずれなど、両者のあいだにさまざまなずれがあるために、会話していても、コミュニケーションが成り立ちにくくなっています。
 このような場合、円滑なコミュニケーションのためには、両者のあいだのずれを解消する必要があるでしょう。ずれを放置しておけば、いくら話し合ったからといって肝心なところは伝わらず、したがってコミュニケーションにならないからです。
 そのためにもよく話し合わなければならないのです。しかし、ずれが解消されていなければ、いくら話し合っても通じ合えないということになって、これでは堂々巡りですね。
 まずは、相手がこちらに伝えたがっていることを、理解して、受け取る努力から入るしかなさそうです。分からないところを質問しながら、少しずつときほぐしていけば、コミュニケーションの通路が次第に開けてくることを、感じ取れるのではないかと思います。

聞かなくたって分かるだろう

 「こんなことぐらい、聞かなくたって分かるだろう」と、大声で怒鳴られている人がいます。怒鳴られている側は「分からないものは分からないよ」と、当惑してしまいます。
 私たちには「自分が分かっていることは、相手も分かっている」と思いがちなところがあります。ところが相手は分かっていない。だからしゃくにさわります。怒鳴ってしまいたくなります。こんな繰り返しでは何も進展しません。何の解決も期待できません。
 「多様性の原理」は「相手は自分とは異なっている」と言っています。自分が知っていることを、相手は知らないこともあるのです。聞かなければ分からないこともあるのです。聞いても、すぐには分からないこともあるのです。
 同じ環境で同じ仕事をしていても、同じ教室で同じことを学んでいても、同じところで同じ経験をしていても、心に残るもの、記憶に残るものは、人によってさまざまなのです。むしろ、同じであるほうが不思議なくらいです。
 では、どうすればいいのでしょうか。
 「自分は知っているけれども、相手は知らないかもしれない」と思えばいいのです。「自分は関心を持っているけれども、相手は関心を持っていないかもしれない」と考えればいいのです。このように思ったり考えたりすれば、相手に対する言葉かけが変わってきます。言葉かけが変われば相手の態度も変わってきます。そんな中で、これは知っておかなければならないと思えば、心を向けてくれる湯なりますし、自分から学んでくれるようにもなるでしょう。
 相手に知ってもらいたいということであれば、このやり方のほうが、怒鳴るよりもずっと効果が上がります。

言い訳だらけの報告

 ある社員が課長のところに来て言います。
 「課長、俺、ちゃんとやったんですけど」。
 課長は、訳が分からずに「何の話だ」と、問い返します。
 社員「うまくいかなかったのは、俺のせいじゃないと思うんですけど」
 課長「だから、何の話だ」
 社員「失敗といえば失敗だから怒られても仕方ないすけど」
 課長「だから、何のことだ」
 社員「でも、俺、ちゃんとやったんです」
 課長は「もう、いい」と、社員を怒鳴りつけて、追い返してしまいました。
 「社員が報告に来るんですけどね、肝心なことは言わないんですよ」と、その課長は頭を抱えています。
 報告は業務上のコミュニケーションの中でも、最重要なもののひとつです。それが正しく行われないと、業務は円滑に回転しません。
 報告下手な社員に対して、上司は正しい報告の仕方を教えておきたいと思います。上手に誘導しながら、最後まで語らせる努力も必要です。こうした努力を積み重ねれば、部下は正しい報告を行うことができるようになります。
 報告にいくと上司が怒るとか、途中で話を遮るとか、そんなことを繰り返せば、たいていの部下は報告しなくなります。
 「いたずらに言い訳をさせているのは、自分かもしれない」
 上司がそんなふうに振り返りはじめたら、そして現実の場で正しい報告を引き出す工夫をはじめたら、正しい報告ができるようになる日も間もないでしょう。

しゃべりまくる

 自分がしゃべることがコミュニケーションだと勘違いしている人が少なくありません。本来のコミュニケーションは、言葉のキャッチボールを通してなされるのであって、一方的にしゃべっていたのでは、コミュニケーションは成り立ちません。
 ある会社では、社長が社員を呼びつけて、一方的に話をします。次から次から社長の話しは続きます。
 初めは真剣に聞いていた社員も、だんだんくたびれて集中力が無くなってきます。
 こういう経験を繰り返した社員の中には、社長の話を黙って聞くのも給料のうちだと割り切る人が出てきます。
 たまたま急ぎの仕事を抱えている社員は、早く現場に戻りたいなあと気もそぞろになります。
 こうなってしまうと、社長の話はほとんど社員に届きません。
 コミュニケーションは、情報・感情・意思の相互理解、相互共有によって成立します。情報の理解、共有によって、自分たちのなすべきことが理解できます。感情の共有によって、話し手の心と聞き手の心がひとつになり、意思の共有によって行動のエネルギーが涌いてきます。
 聞いては話す、話しては聞く。こうした言葉のキャッチボールを通して、社長の考え、社長の思いが社員に伝わるのです。
 社長が、社員と言葉のキャッチボールをすれば、そこから社長の考えや思いが社員に伝わります。こうして、社長の思いが社員の思いとなったとき、社員に行動のエネルギーが涌きだして、活き活きと業務に取り組むことになるでしょう。

日本語が通じない

 あいつには、日本語が通じない。そう言って怒っている人がいます。部下が、自分の言っている言葉を理解しないというのです。
 私も、新人時代、先輩が言っている言葉が、分からなかったことがあります。あのとき先輩は私のことを、日本語が通じないと言って怒っていたのかもしれません。
 逆に、私の言っている言葉を後輩が理解できなかったという経験もあります。そのとき私は、こいつには日本語が通じないといって怒ることはしませんでした。なぜなら、言葉が分からないのには、それなりの理由があるからです。理由を解決すれば、言葉が通じるようになるからです。
 本当に言葉が分からなかったり、言葉の意味が分からない場合があります。まわりの人がみんな知っているのに、自分だけ知らない言葉があって、困ってしまった経験が私にもあります。
 気の小さい人は、冷静に聞けば分かる言葉でも、怒鳴り声で言われると、恐怖心が先立って、言葉そのものは耳に入らないことがあります。怖いから、返事だけはしてますが、何を言われているのか分かりません。
 そんなこんなで、あいつには日本語が通じないと言って嘆いたり怒ったりするわけですが、そのままにしておけば、分からないッ放しで終わってしまいます。
 「あいつには日本語が通じない」と嘆くまえに、日本語が通じない理由を探してみてください。あいつの分かる言葉や理解できる言い方で語りかけてみてください。
 業績向上を重視するのなら、この方がずっと効率的です。

雑談? 相談? 愚痴?

 ある部下が言います。「ご相談があるんですけど……」
 なんだろうと思って聞くのですが、ご相談がなかなか出てきません。不平不満と自己主張を繰り返すばかりです。要するに、愚痴です。なんだ、愚痴を言いに来たのか。そうと分かれば、聞く姿勢が変わります。
 「ご相談がある……」とやってきて、雑談をして帰る人もいます。急ぎの仕事をデスクに残しながらわざわざ時間を作ったのに、どうでもいい雑談の相手をさせられたという思いは、この人への不信感となって蓄積されます。
 私が先輩の所に話に行くときはまず電話します。「先輩、愚痴聞いてくれよ」とか「○○のことで、相談があるんだけど」とか「ちょっと疲れちゃったよ、雑談に行ってもいいですか」などと。
 自分が、どんな目的で何を話にいくのかを伝えることによって、相手の準備も違ってきますから、目的が達成しやすくなります。自分が誰に、何を、何のために話したいのか、自分で分かっておきたいものだと思います。
 まとまりがつかない自分の気持ちを、先輩や上司に聞いてもらいたいときは「愚痴聞いてください」がいいように思います。このとき先輩や上司は、「お前の愚痴なんか聞きたくない」などと突っぱねないでもらいたいですね。
 「相談」というときには、「知恵が欲しい」のか、「意見を聞きたい」のか、「指導を受けたい」のか、「提案をしたい」のかなど、自分の目的がはっきりしていると、話が運びやすくなりますし、相手も受け答えがしやすくなるようです。

情報の共有

 コミュニケーションとは、「さまざまな情報をさまざまな手段、方法で伝えあうこと」だと言われています。ここで「さまざまな情報」というのは、出来事、考え、感情、意思などで、まさしくさまざまです。
 「さまざまな手段、方法」というのは、会話、手紙、電話、メールなどのほかにも、表情や身振り手振り、信号などなど、本当にさまざまです。
 「伝えあう」ことは、コミュニケーションの核心だと思います。会話が、その原型だと思います。
 「伝わった」ということは、「伝え合った情報を、両者が理解し合った、両者が共有し合った」ということです。理解し合い、共有し合って始めて伝わったと言えるのです。
 言葉などが伝わったとしても、内容が理解できなかったり、受け入れられなかったりすれば、伝わったとは言い難いものがあります。伝え合った情報などを、両者が共有し合ったとき、コミュニケーションが成立したのだと言えます。
 コミュニケーションが成立しますと、情報・感情・意思の相互理解、相互共有ができますから、自然に信頼感が涌きますし、協力関係になることができます。社内のより良いコミュニケーションが、経営の質を高めると言われるのは、ここのところを指しているのだと思います。
 コミュニケーションはこのように大切なものですから、そのための手段、方法がいろいろと考えられ、開発されてきたわけですが、対面して行なう「会話」が基本であることは、間違いないだろうと思います。
 会話を通して情報などを共有するところに、コミュニケーションの原型があるのだと、私は考えています。

よりよい人間関係

 よりよい人間関係とは、人と人とが親しみを感じ合いながら、信頼し合っている関係であると言われています。
 親しみを感じ合っていれば、お互いに心安く語り合うことができるでしょうし、相手を受け入れることができるでしょう。
 信頼し合うというのは、文字通り、お互いに信じ合っていることであり、お互いに頼ったり頼られたりする仲になっていることだと思います。
 もともとは見ず知らずだった人同士が、いつしかこうした間柄になるのは不思議な感じもしますが、ここに、コミュニケーションが大きなはたらきをしていることに気づきます。
 人と人とが会話を交わし、お互いの持つ情報・感情・意思などを交換して、お互いに理解し合う。そういう相互理解ができたとき、コミュニケーションができたということができます。こうして相互理解ができたということは、互いに受け入れ合ったことを意味します。互いに受け入れ合えば自然に心安くなると思います。
 さらに、会話を続け、コミュニケーションが深まって、相互理解した情報・感情・意思などを、相互に共有し合うことができれば、互いに信頼し合える間柄となり、互いに協力しあう方向へと進展するのが当然でありましょう。
 こうして会話から相互理解へ、相互理解から相互共有へとコミュニケーションが深まることによって、人間関係は良い方へ良い方へと進展していくにちがいありません。
 こうしたことからも、よりよい人間関係は、コミュニケーションによって生み出されるのだと考えていいのではないかと思います。

コミュニケーションが自分を育てる

 仕事をしていると、分からないことが出てきます。そんなとき、まあいいやとそのままにしておく人がいます。分からなくても、差し当たり仕事は進められるからです。
 ところが、だんだんに差し支えが出てくるようになります。困ったなと思っても、いまさら人に聞くのは気が引けます。
 やがて、後輩が入ってきて、そのことについて聞かれます。聞かれても分からないから答えられません。かといって、正直に分からないというのもいやです。今、忙しいから、他の人に聞けなどとごまかしてしまいます。
 後輩は他の人に聞いて、自分の知らないことを知ってしまいます。その上、後輩は、教えてくれた人に結びついていきますから、自分はだんだん取り残されてしまいかねません。
 「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」という諺があります。知らないこと、分からないことは、どんどん聞いて、マスターしたほうがいいのです。
 聞いたからといって、相手から馬鹿にされることはほとんどありません。仮に、そのとき馬鹿にされたって一時の恥です。
 聞く力も、コミュニケーション能力のひとつです。知っている人を探し出し、質問して教えてもらうのもだいじなコミュニケーションです。こうして知識がひとつ増えるのは、自分自身の成長です。
 知っていることを、人に教えて上げるのもやっぱりコミュニケーションです。教えてあげると、自分は、さらに高まります。
 コミュニケーションには、自分を成長させるという大きな力、不思議な力があることを、見つめておきたいと思います。

コミュニケーションがチームワークをつくる

 組織が成り立つための三つの条件があります。メンバー(組織構成員)が、経営理念を共有していること、メンバーの一人一人が組織運営上の役割を担い積極的に取り組んでいること、そしてメンバー間に組織運営上のコミュニケーションが円滑に行なわれていることの三つです。
 コミュニケーションは、会話などを通して情報・感情・意思などを互いに共有し合うことです。会社をあげてコミュニケーションが円滑に行なわれれば、経営者から末端社員まで、心が一つになるに違いありません。
 そのような会社では、経営者の持つ経営理念が社員に行き渡るでしょうから、一人一人の仕事の方向が、自ずから一致してくるでしょう。社員は、自分に割り当てられた業務とその意義を理解して、高いモチベーションで積極的に取り組むことでしょう。
 そのような会社では、社員同士のコミュニケーションが円滑に行なわれるはずですから、職場の雰囲気も良くなるでしょう。自分の仕事に励みながら相手の仕事の進捗状況を把握し、互いにタイミングを合わせたり、協力し合ったりすることができるでしょう。こうして、優れたチームワークが結ばれていくに違いありません。
 チームワークの良い職場では、業務が円滑に進み生産性が向上するばかりでなく、一人一人が快く働くことができます。
 質の高い組織とは質の高いチームワークの組織であり、質の高いチームワークは質の高いコミュニケーションから生み出されるに違いないと、私は考えています。

 

浪 宏友(本名:中原常友)
詩人・仏教研究家・経営コンサルタント
妙法蓮華経と原始仏教を学び続けて70年
宗教ではない仏教「ビジネス縁起観」を開発
1940年(昭和15年)生

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