苦悩の原因ー貪欲・瞋恚・愚痴/四諦

四諦ー人生苦からの脱却

苦悩の原因

四諦の教えで、苦悩の原因は、貪欲(とんよく)・瞋恚(しんに)・愚痴(ぐち)の三毒であると説明されました。

これらの迷いがありますと、行ないが真理から外れやすくなります。真理から外れた行ないは悪因となりますので、悪果・苦果がでます。そこから苦悩が生じるのです。

貪欲・瞋恚・愚痴とはどういう迷いでしょうか。学んでみたいと思います。

健康な執着・欲望

人が、何かに触れて、好ましい思いをしたり、快さを感じたりしますと、心がそこに留まります。執着の始まりです。執着自体に善悪はありません。そこから善を生み出すか、惡を生み出すかは、その人次第です。

人が、執着したものを見つめていますと、欲しいという気持ちが生じます。欲望の発生です。これも自然の成り行きであり、善悪はありません。

執着にせよ、欲望にせよ、健康であればいいのです。健康な執着や欲望は、健康なモチベーション発揮につながります。その意味では、なくてはならない感情であるということができると思います。

健康な生活・人生

人間が生きるためには、欲望が必要です。巷説に、人間の四大欲望として、食欲・性欲・睡眠欲・集団欲が挙げられています。人間が生きていくために、必須の欲望です。

これらの欲望を満たすために、人びとは、仕事に就き、衣・食・住を獲得し、配偶者を得、家族を得、コミュニティを求めます。

これらの欲望が、適正に満たされているとき、その生活・人生は健康であると言っていいと思います。

「足るを知る」とか「少欲知足」という言葉があります。私は、ここから、「必要なものが、必要なときに、必要なだけあればよい」と考えました。この状態が継続するとき、実質的に豊かであると考えられます。

貪欲の発生

貪欲とは、不健康な欲望と言っていいでしょう。

貪欲の始まりは、執着です。執着したものをみつめていますと、欲望に発展します。欲望は、やがて、押さえきれないほど肥大化します。

肥大化した欲望は、欲しいと思ったものを、なんとしても手に入れようとして、不正な手段を使うことも厭わなくなります。欲望に歪みが生じるのです。

こうして肥大化した欲望、歪みを生じた欲望が貪欲です。貪欲は、病んだ欲望と言っていいと思います。

貪欲は自分本位

貪欲は、自分本位の感情です。自分さえよければいい、他人のことなどどうでもいい、そんな精神で考えたり、行なったりします。

貪欲は、肥大化した欲望を満たすことばかりを追求します。その行ないが、周囲の人々に迷惑をかけていても、気にかけません。

貪欲による行ないは悪因となり、自分に悪果・苦果をもたらします。しかし、そんなことにはお構いなしです。とにかく、現在の自分の欲望を満たすことに専念するのです。しかも、貪欲は、満足することを知りませんから、どこまでも肥大化を続けます。

瞋恚

瞋恚とは、怒ることです。不満の感情が攻撃的に発せられることです。

ものごとが自分の思うようにならないとか、人が自分の思うように動いてくれないなど、嫌なこと、辛いこと、悲しいこと、苦しいことなどが起きると、この事態を受け入れきれず、対処することもできず、不満の感情が起こります。この不満の感情が攻撃的に発せられるのが、瞋恚(怒り)です。攻撃の対象は、ものごとであったり、人であったり、自分であったり、さまざまです。

瞋恚は、自分本位の攻撃的な感情であり、破壊的な感情です。不平不満を言い、腹を立て、怒鳴り散らし、乱暴をはたらき、相手を痛めつけ、追い出し、抹殺しようとさえします。ものを壊し、他人を傷つけます。自分と他人との人間関係を破壊します。自分を破壊し、自分の人生を破壊します。瞋恚の感情は留まるところを知りません。

愚痴

愚痴とは、智慧が無いことです。真の人間として生きる道筋を知らないことと言っていいと思います。

いわゆる頭の良し悪しと、智慧・愚痴とは別物です。頭が良いと言われるけれども、愚痴な人は少なくありません。頭が悪いとされていても、智慧のある人の話を耳にすることがあります。

愚痴とは、苦諦・集諦・滅諦・道諦を理解せず実行しないことと仏典にあります。

愚痴な人は、自分が苦悩していながら、自分が苦悩していると自覚できません。

自分の苦悩は、自分の中にある貪欲によって生み出され、瞋恚によって助長されます。愚痴な人は、そのことを知りません。

貪欲を正当化し、貪欲を満たすのが幸福であると思い込み、もっともっとと貪欲を駆り立てます。

自分の苦悩は、あいつが作った、こいつが作った、世間が作ったと思い込みます。この思い込みが瞋恚を駆り立てます。

愚痴は、貪欲・瞋恚を正当化し、助長しながら、自分を闇の中に引きずり込んでいくのです。

三毒

貪欲・瞋恚・愚痴は、人生を苦悩に引きずり込みます。すなわち、人生を毒するのです。このため、これらを、三毒と呼んでいるのです。

三毒に制せられた心・言葉・行為は、悪因を作ります。悪因は、悪果・苦果を生み出します。

悪果とは、三毒がより大きくなることです。これによって、心・言葉・行為が、ますます三毒に引きずられるようになります。

苦果とは、苦悩が生じることです。自分自身や身の回りに、嫌なこと、辛いこと、悲しいこと、苦しいことが続発し、苦悩の毎日を送りながら、生涯を閉じることになってしまうのです。

三毒から抜け出すには

三毒から抜け出す道は、四諦・八正道を学び、理解し、信頼して実践するほかありません。お釈迦さまは、このことを、口を酸っぱくして繰り返しておられます。一刻もはやく、四諦・八正道の教えを紐解くべきでありましょう。

浪 宏友(本名:中原常友)
詩人・仏教研究家・経営コンサルタント
妙法蓮華経と原始仏教を学び続けて70年
宗教ではない仏教「ビジネス縁起観」を開発
1940年(昭和15年)生

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