仏教は科学?
仏教は科学であるとおっしゃる方が少なくありません。 私は、仏教と科学はよく似ているとは思っていましたが、「仏教は科学である」と言い切っていいのか、分かりませんでした。
今は、「仏教は科学ではないが科学的である」と思っています。そう思うようになった経緯を、簡単に記しておきたいと思います。
科学と仏教の似ているところ
私が、仏教と科学はよく似ているなあと思ったところがあります。
科学は、ものごとの事実を取り扱います。また、事実しか取り扱いません。
仏教も、ものごとの事実を取り扱います。これまた、事実しか取り扱いません。
科学における事実と、仏教における事実は、その内容が少し違っていると思われますが、いずれにしても、事実を取り扱うという点では共通しています。
科学は、因果律でものごとを考えます。「すべての事象には原因があり、原因なしに結果は生じない」という宇宙の根本的な法則です。
仏教は、縁起の法でものごとを考えます。「すべての物事は、因(直接的な原因)と縁(相互に関係しあう条件)によって結果が生じる」という法則です。
表現の仕方は違いますが、よくよく検討すれば、同じことを言っています。
仏教は科学であるとおっしゃる方々は、このようなことも、論拠として取り上げておられるのではないかと思います。
科学と仏教には違うところがある
私が、仏教は科学とは違うなあと思ったところがあります。
科学の対象は多岐に渡ります。自然科学、社会科学、人文科学などと分類されていますが、まだまだ、対象は広がる可能性があります。
いずれにしても、科学は、客観的なデータに基づいて、再現可能な知見を追求するという特徴を持っています。 客観的な態度で、普遍性のある法則を探求するのが科学の目的であると思います。
仏教の対象は、人間と人間関係です。人間とは自分であり、人間関係とは自分と他の人との関係であると絞ってもいいと思います。
縁起の法から生み出された教えを学び、苦悩する自分が、苦悩しない自分になるために、自分との戦いに勝つための修行をするのです。
苦悩がすっかりなくなった後は、菩薩となって、人びとを苦悩から救う活動をします。
科学と仏教は、対象が異なり、目的が異なっているので、科学と仏教は違うなあと思ったわけです。
仏教における「法」の説明
原始仏教に「法」について説明する経文があります。そこに、次のようなことが述べられています。
法は、世尊によりて善く説かれた。
これは、お釈迦さまを深く信頼しているので、お釈迦さまがお説きくださる法を信頼しているということで、宗教的な言説になります。
法は、現に証せられるものである。
これは、理論と現象が一致していることを言っています。科学的な言説になります。
法は、時をへだてずして果報あるものである。
これは、法のとおりに実践すれば、必ず、現実に結果が生まれることを言っています。これも、科学的な言説になります。
法は、「来たって見よ」というべきものである。
これは、法を実践する現場を見て、理論と現象が一致すること、必ず果報があることを自分の目で確かめてくださいということです。
ここには、自分で法を実践して、これらのことを経験してくださいという意味合いがあります。科学の言う、再現性に通じる言説でありましょう。
法は、よく涅槃に導くものである。
涅槃とは、苦悩が無くなった境地です。法を実践すれば、苦悩が無くなると言っているわけで、これは、修行の目的を言っていますから、宗教的な言説であると言えます。
法は、智者のそれぞれみずから知るべきものである。
これは、法は理性的に知るべきものであるということです。科学的な言説と言えましょう。
お釈迦さまがお説きくださった法を理性的に理解することにより、法に対する信頼が生まれ、法を自分の人生指針にするようになります。この段階に入ると、宗教的になると思います。
法に関するこの経文には、宗教的な内容と、科学的な内容が混在していることが分かります。
私の結論
大筋、上記のようなことから、私は、「仏教は、科学とは違うけれども、科学的だなあ」と思ったわけです。
