久遠実成の本仏
親鸞聖人の浄土和讃の中に、次の和讃があります。
久遠実成阿弥陀仏
五濁の凡愚をあはれみて
釈迦牟尼仏としめしてぞ
迦耶城には応現する
久遠実成の阿弥陀さまが、汚れた世間で愚かな生き方をしている人びとを可哀そうに思い、釈迦牟尼仏となってお救いくださるために、釈迦族の王子としてガヤ城にお生まれになりましたというほどの意味です。
西方極楽浄土の教主である阿弥陀さまは、久遠実成の本仏なのです。
真言密教の教主大日如来も、華厳経の本尊毘盧遮那仏も、久遠実成の本仏です。
阿弥陀如来、大日如来、毘盧遮那仏は、経文に現われる仏さまです。
釈迦牟尼如来は歴史上の人物ですが、法華経で久遠実成の本仏と説かれています。
久遠実成の本仏が、この世で苦しみ悩む人びとをお救いくださるために、さまざまなお名前で、さまざまなお姿をとって、この世に現れてくださるのです。
久遠実成の本仏とは
久遠実成の本仏とは、「久遠の昔に、実際に成仏している、真実の仏さま」という意味です。
お釈迦さまがお悟りになった「法」は、お釈迦さまがお生まれになる前から、お釈迦さまがご入滅なさった後まで、永遠常住の真理です。
お釈迦さまをお慕いする弟子たちは、永遠常住の法をお説きになるお釈迦さまもまた永遠常住であるという思いを生じ、ここから久遠実成の本仏が立てられたと思われます。
中村 元先生による『佛教語大辞典』(東京書籍)の、「久遠実成」の項目に、次のようにあります。
「仏教は、本来真理(法)に対する信仰であり、釈尊は、自己なきあと、法にたよることを遺言したが、弟子たちは、釈尊という人格を通して仏法を信奉していたので、釈尊なきあと、釈尊の残した法だけでは満足できず、彼の人格を追慕し、さらには釈尊に代わる仏を求めた。その結果、種々の仏が立てられたが、『法華経』にきて、それらが釈迦仏に帰一され、釈迦仏の永遠不滅が説かれるにいたった」
「久遠実成の本仏」は「真理(法)」の象徴
「久遠実成の本仏」は「真理(法)」の象徴です。
私たちは、「真理(法)」に生かされて生きています。「真理(法)」は「縁起の法」としてはたらきをあらわします。「原因・結果の原理」、「原因・条件・結果・影響の原理」は、「真理(法)」のはたらきです。「真理(法)」は、現実に私たちを生かすはたらきをしているのです。
このように、理論的な説明を受けても、私たちが「真理(法)」を実感することは困難です。そこで、「真理(法)」を「久遠実成の本仏」と人格化し、お釈迦さまのご人格と重ね合わせることによって、「真理(法)」が身近に感じられるようになり、生かされて生きているという事実を実感することができます。
「久遠実成の本仏」は慈悲と智慧の当体
久遠実成の本仏のはたらきについて、庭野日敬師は、次のようにのべておられます。
「『本仏』はいつも天地の万物を救おう、救おうという精神をもって宇宙に遍満しておられるのです。『救う』といっても、網で魚をすくうように『救う』のではなく、人間なら人間、動物なら動物、植物なら植物、そのものの持っている本来の生命を生き生きと発現させ、すくすくと伸ばしてやろうという『救い』なのです」(庭野日敬著『法華経の新しい解釈』佼成出版社、p.35)
人間である私たち一人一人に対しても、久遠実成の本仏は、「その人の持っている本来の生命を生き生きと発現させ、すくすくと伸ばしてやろう」とはたらいているのです。
あらゆる人を、その人に応じた幸せに向かわせてあげようというのですから、これは「久遠実成の本仏の大慈悲」と言っていいでしょう。
一人一人に応じた幸せを見極めながら、幸せに向かわせてあげようというのですから、ここには「久遠実成の本仏の智慧」がはたらいているということができるでしょう。
すなわち、「久遠実成の本仏は慈悲と智慧の当体である」ということができるのです。
「久遠実成の本仏」に対する信仰
庭野日敬師は、久遠実成の本仏に対する信仰について、次のように述べておられます。
「もしわれわれが、いつも『自分は久遠実成の本仏に生かされているのだ』という自覚を深くもち、『久遠実成の本仏に生かされているかぎりは、そのみ心のとおりに生きることが正しい生き方だ』という明快な真実を悟り、本仏のみ心にもとづいて説かれたお釈迦さまの教えにしたがって生きてゆきさえすれば、つねに大自信をもった生活ができ、人生苦などはあってもなきにひとしくなってしまうのです」(庭野日敬著『法華三部経 各品のあらましと要点』佼成出版社、p.169)
自分は久遠実成の本仏に生かされているのだという自覚を深くもつ。
久遠実成の本仏に生かされているかぎりは、そのみ心のとおりに生きることが正しい生きかただと悟る。
久遠実成の本仏のみ心にもとづいて説かれたお釈迦さまの教えにしたがって生きてゆく。
これが、久遠実成の本仏に対する信仰であるといえます。
「久遠実成の本仏のみ心にもとづいて説かれたお釈迦さまの教え」は、八万四千と言われるほど多種多様ですが、その中から、自分に合った教えを選んで、学び、理解し、実践すればよいと思います。
教えがいろいろあって分からないから、取っ掛かりだけでも教えろとおっしゃるのでしたら、「四聖諦」と「八正道」をお薦めします。この二つの教えが、お釈迦さまの八万四千の教えの基礎をなしていると考えられるからです。