会議

ビジネス

組織と会議

 仕事の中では、会議が必ず行われていると思います。仕事が始まるとき、仕事の途中、仕事が終わるときなど、仕事のプロセスの中で、さまざまな会議が開かれているはずです。
 会議に参加するためには、いっとき実務から離れなければなりません。実務のほうは痛手かもしれないのに、それでも会議に参加するのは、会議がそれだけ重要であり、意義があるからだと思います。
 組織活動のためには、少なくとも三つの要素が揃わなければならないと言われます。メンバーが理念を共有する。メンバーがそれぞれ役割を担い積極的に果たす。メンバー間に組織活動上のコミュニケーションが成立する。この三つです。これらの条件を揃え、組織を維持し、発展させるために会議は重要なはたらきをします。
 会議を進める中で、理念が語られ、理念の解釈がなされ、理念の確認が行われます。メンバーは会議のなかで、理念をより深く理解し、共有することが可能となります。
 会議を進める中で、メンバーは、組織における自分の位置づけを理解し役割を理解します。自分の担う役割が組織活動のなかでどのような意義を持っているか、自分の活動が組織に如何なる影響を与えているかを知ることができます。
 会議は、なによりもコミュニケーションの場です。情報を交換し、意見を交換し、気持ちを分かり合い、意思決定の内容や理由を理解します。こうして重要な内容を共有することができます。
 会議を通して組織活動に必要な条件が充実し、実務に戻ってからもメンバーのモチベーションが高く保たれるようであれば、会議は大成功と言ってよいと思います。

仕事と会議

 会議は仕事のプロセスの中で、いっとき実務から離れて行われます。
 会議では、今後の計画について検討されます。部署間の連携について約束が取り交わされたり、確認がなされたりします。問題解決について話し合われます。社内の重要なトピックスについて発表があります。仕事上必要な情報が流されます。このような意見交換、情報交換がなされる中で、意識の統一が図られ、意思が共有され、お互いの気持ちが通じ合い、仲間意識が醸成されます。
 会議を開いた後のほうが、会議を開く前よりも信頼関係が深まった。さまざまな意味で向上し、前進した。そういう結果が出ていれば、会議は成功したと言えます。
 会議を開いたけれど、ぎくしゃくしてしまった。意見が対立したまま終わった。感情的な対立が大きくなった。声の大きい人の意見が通ったことになってしまい、だれも納得していない。こういう状態では、会議はマイナスを生み出したことになってしまいます。これでは失敗会議と言わざるを得ません。
 会議を成功させるには、会議を主催する人、運営する人、参加する人たちが、会議とは何をするところかをわきまえ、会議における自分の役割をわきまえることが求められます。そして、会議を運営するための技術を持ち、会議のルールを守り、マナーを心得ていたいと思います。
 いっとき実務から離れて会議に参加するのは、そのほうが業績が上がると思うからです。会議を終えて実務に戻ったとき、いままで以上にモチベーションが高まり、業務の質が良くなり、効率も上がった。そんな会議を開催できる組織は、発展する可能性を秘めていると思います。

会議の種類

 会議と言っても、さまざまです。切り口によって、いろいろな分類ができます。会議の目的で見てみましょう。
 会議と言うとすぐ思い浮かぶのが、みんなで話し合ってものごとを決める会議です。参加した人の過半数で決議するというような会議が、普通に行われています。
 企業などでは、多数決でものごとを決めるのではなく、トップの意思決定によって決めるのが普通です。それでも、トップが社員を集めて話し合います。社員たちの意見を聞くことによって、情報を収集したり、アイデアを得たり、自分の見落としに気づいたり、斬新な考えに出会ったりするための会議です。トップと社員が信頼し合っているとき、この会議は成り立ちます。
 意思決定をしたトップは、改めて社員たちを集めます。意思決定の内容を社員に発表するためです。トップが社員に命令する会議であると見ることができます。発表した後、トップは社員から質問を受けます。質問に答えながら、社員の理解を深めるのです。
 また、部署間の業務調整をする会議があります。業務に対する認識を揃えたり、連携のありかたを話し合ったりします。
 情報交換をするための会議。意見交換をするための会議。指導や教育をするための会議。業務上の連絡をするための会議。一口に会議と言っても、その目的はさまざまです。
 会議に参加する人は、この会議は何をする会議なのかを理解して臨みたいと思います。会議の主催者、運営担当者が会議の目的を明確にし、参加者が目的から逸れないように心がけるならば、円滑で実りの大きい会議となるにちがいありません。

会議の準備

 企業などでの会議では、短い時間に、多くのことを行なわなければならないようです。議論して議決をしなければならない議題があります。提出された企画について意見を交換することもあります。重大なできごとについて情報交換を行ない状況把握に努めることもあります。報告事項もありますし、事務連絡もあります。限られた時間で扱うには、あまりにも盛り沢山の内容です。
 一つのことに時間を取られて、残り時間が少なくなり、大事な議題が生煮えに終わってしまったり、重要な情報を説明することができなかったり、大事な連絡を忘れてしまったり、そんなことが起きてしまいます。このようなことを繰り返していたのでは、業務にも悪い影響が及ぶでしょう。
 こんなことが起きないように効率よく会議を運営するためには、それなりの準備が必要です。会議の運営者は、会議の設計と準備にかなりなエネルギーを使うことになると思います。
 会議で取り扱う議題などを確認しながら、これは議論して議決までこぎつける、これは意見交換をするだけでよい、これに関する情報交換をする、事務連絡はこれとこれなどと整理をします。参加する人を確かめます。要する時間を見積もります。取り扱う順序を考えます。必要な資料を発議者に準備させます。出席者に会議の日時や場所を連絡すると共に、できるかぎり議題を知らせ、資料を届けておきます。
 会議の運営者が緊張感をもって準備をすれば、参加者にも緊張感が伝わりますから、会議当日も緊張感のある効率的な運営が期待できると思います。

会議の記録

 ある国家的な大事件が起きたとき、政府や大企業が集まって会議が繰り返されました。ところが会議の公式な記録が作成されていませんでした。このため、大騒ぎになったことがあります。
 会議で決められたことは、参加者が約束したことです。約束は果たさなければなりません。つまり、会議で決まったことは実行しなければならないのです。
 仕事の中で、あなたは会議で決めたとおりにやっていない、いや、私は決めた通りにやっていると水掛け論が始まったことがあります。決定事項を確かめればいいじゃないかということになりましたが、会議録がありませんでした。二人はそれぞれにメモを取っていて、それが決定事項だと考えていたのです。メモを突き合せてみても、内容がまちまちだし、恣意的なことが書き込まれていたりで、水掛け論が延々と続くばかりでした。
 こんなことにならないためにはルールに則った正式な記録が必要です。記録する人は誰か、何を記録するのか、記録した内容を誰が確認するのかなどを定め、記録の保管場所や方法も決めておきます。
 会議によって、記録する内容も変わります。結論だけを書いておく場合もあるでしょう。議論の要点を記しておくこともあるでしょう。発言を逐一記録しておかなければならない会議もあるでしょう。
 会議ではいろいろな意見も出ますし、提案もなされます。最終的にどこに収まったのか、そこに至るまでのプロセスはどうだったのか。そうした記録が、あとあと重要な意味を持つこともあります。
 いずれにしても、会議の記録は必ず残し、参加者ならだれでも閲覧できるようにしておきたいものだと思います。

議論

 相手を言い負かすのが議論だと思っている人がいるようです。大声を出す。威圧する。相手の意見を片っ端から否定する。相手に一言もしゃべらせまいとする。相手が引き下がるまで頑張る。そういう人がいます。しかし議論は口げんかではありません。
 自分の意見に反論されると怒りだす人がいました。極端な例では、質問されただけで怒り出しました。これでは議論が成り立ちません。
 どちらが正しいか、間違っているか、決着をつけるのが議論だと思っている人もいました。しかし、審判するのが議論の目的ではありません。○×式の試験を行っているわけではないのです。
 議論は、筋道を立てて話し合うという理性的な行為です。感情を高ぶらせて言い合うことではありません。
 異なる情報を持ち寄り、異なる意見を出し合うことによって、お互いの持つ情報や考えを確かめ合う。異質な考えを闘わせて、お互いの考えを育て合う。異質な意見を出し合って、より高度なものごとを生み出していく。それが、本当の議論だと思います。
 議論の本質は、異質の協働です。異質なものが一つの目的に向かって力を出し合い、新しい価値を創造するのです。
 議論に、情熱は必要です。熱い心で主張することによって、相手を説得する力も増します。しかし、あくまでも理性的に語らなければなりません。怒ってしまっては台無しです。怒りは議論をぶちこわします。
 自分の意見を大事にする。同時に他人の意見も大事にする。そういう姿勢で議論を行なえば、素晴らしいものが生み出されてくるのではないでしょうか。

意見を否定する

 私の現役時代のことです。会議の席上で、誰かが提案したり、意見を言ったりすると、片っ端から否定する人がいました。
 この人が自分から提案したことは、私の知る限り、まったくありませんでした。ひたすら、他人の提案や意見を否定することにエネルギーを使っていました。
 この人が、他人の意見を否定するのは、どうやら自分を偉く見せたいためのようでした。上から目線で他人を否定することで、自分が偉くなったような気分を味わえたのかもしれません。
 会議を建設的に進めるためのセオリーのひとつとして、他人の発言を決して否定しないというのがあります。相手の発言を終わりまで聞いて「あなたの意見はこうですね」と受け取るのです。その意見に対して、賛成するのか、反対するのか、何もしないのか、それは受け取ってから考えるのです。
 ものごとに対する見かたや考えかたは、人によって異なります。ですから当然違う意見が出てきます。違った見かたや考え方を持ち寄って、そこからより価値の高い見かたや考えかたを生み出していく、そのような協同作業の場が会議なのです。ですから、他人の意見は終わりまで聞くのが基本であり、礼儀でもあります。
 私が会議を主催するときは、簡単なルールをお願いすることがありました。ルールの一つとして、他人の意見を否定しないことを含めてもらいました。これだけで、みんなが発言しやすくなり、会議がとげとげしくならずにすみました。意外にも、自分の意見に執着する人はあまりいませんでした。会議を円滑に進めるこつは、他人の意見を終わりまで聞くことだと、私はつくづく思いました。

愚痴の吐けどころ

 会議で意見を求められた人が、怒涛のようにしゃべり始めました。日ごろから溜め込んでいたらしい不平不満を、ありったけ吐き出しています。議題とは関係のないことが次から次へと出てきます。どうやら、会議を愚痴の吐けどころにしてしまったようです。
 話はテーマから外れます。司会者からたしなめられても話をやめません。会議は停滞します。参加者たちは、白けてきます。
 このように、会議を愚痴の吐けどころにする人には、私もずいぶん出会いました。いずれにしても、会議を正常に戻すためには、話をやめさせなければなりません。
 あなたの発言は現在進行しているテーマとは関係がないからやめてくださいと、強引にさえぎったこともあります。話をさせないといって恨まれますが、致し方ありません。そのことについては、のちほど相談しましょうなどとなだめて話をやめさせたこともあります。なだめた以上は、どこかで話しを聞かなければなりません。
 会議とは何か、何をするところか、そのなかで自分はどう振る舞えばいいのか。そういうことを知らない人も少なくないのです。
 会議は、自分の腹に溜まっていることを吐き出すところではありません。関係者が集まり、目的に向かって、筋道の立った話し合いをする場です。会議にはルールがあり、エチケットがあります。参加者がルールにしたがい、エチケットを守ることによって、よりよい会議を実現することができます。
 会議のルールやエチケットを知らない人には、どこかで上手に手ほどきしたほうが良いと思いますが、手ほどきには、かなりな工夫と忍耐が必要となることを覚悟しなければなりません。

会議には礼儀がある

 会議には礼儀があります。参加者が礼儀を守れば、会議は円滑に進行し、目的を達成することができます。
 会議の礼儀は、まず、約束の時間に始まり、約束の時間に終わることではないでしょうか。会議には何人もの人が仕事を中断し、時間をやりくりして集まっています。これを考えただけでも、時間を守るのは礼儀だと言っていいでしょう。また、時間を守らない会議は、しまりがなくなります。
 会議では、進行役が苦労しています。参加者、時間、会議の目的などに気を配りながら会議を円滑に進行させようと努めます。これに協力して、会議を有意義に進行させようと心配りをするのも、参加者としての礼儀ではないでしょうか。
 会議は会話で成り立ちます。人の発言を最後まで聞くのは、会議の礼儀のイロハです。
 会議は異質の協働の場ですから、人の意見を否定しないことも礼儀です。否定しないことと反対することは両立します。あなたの意見はこうですねと受け入れておいて、私は反対ですと言えばいいのです。反対する場合は反対理由を明らかに示すのも礼儀です。これはルールと考えたほうが良いかもしれません。
 自分は反対していたとしても、会議で決まったことに対しては従うのもルールと考えるべきだと思います。会議で決まったことを無視して、自分の思うままに行動する人がいたのでは、会議を開催した意味がありません。
 人と人とが話し合い、よりよい未来を開くために英知を集める会議とするために、礼儀とルールを尊重したいと思います。

話し合いにならない会議

 会議では意見交換が行われます。意見交換とは、話し合いにほかなりません。話し合いの基本は、言葉のキャッチボールです。「聞いて、話す」「話したら、聞く」の繰り返しです。
 会議は、いうなれば、みんなが集まって話し合いをする場です。意見交換も質疑応答も、話し合いです。発言する人と聞く人が次々に交代し、「聞いて、話す」「話したら、聞く」が繰り返されることによって、会議は進展します。
 ときおり、話し合いになっていない会議を見ることがあります。
 会議の冒頭でトップが言います。今日は忌憚のない意見を述べてもらいたい。そして自ら話し出します。話は止まりません。そのうち閉会の時間がきてしまいます。トップは言います。君たちが何も発言しないから、俺がしゃべるしかなかったじゃないか。
 会議が始まると、特定の二人が意見を闘わせます。延々と議論を続けます。他の人が口を挟む隙間がありません。みんな黙っています。時間が来て、会議は閉じられてしまいます。二人以外の人たちは、何のために会議に出席していたのでしょう。
 会議が始まり議題が示されます。誰も発言しません。沈黙の時がどんどん過ぎていきます。司会者が指名して発言をうながしても、声を出そうともしません。時間も迫り、原案がそのまま通ったことになり、閉会となります。
 このような話し合いになっていない会議は、このほかにもいろいろなケースが見られます。
 何故そういう状態になってしまうのか理由を突き止めて、正しく解決し、内容のある会議に戻したいものです。

会議はコミュニケーションの場

 会議が始まったばかりのときは、参加者それぞれの考えや思いはさまざまだろうと思います。また、持っている情報もまちまちであろうと思います。だからこそ、会議を開く必要があるのです。
 健全な会議では、それぞれの人の考え、思い、情報が、会議の席上で円滑に交換されます。交換された考え・思い・情報を、お互いに理解し合った状態が第一段階のコミュニケーションです。相互理解の段階です。
 さらに話し合いを進めて、考え・思い・情報を、お互いに共有する段階まで深めた状態が第二段階のコミュニケーションです。相互共有の段階です。会社では、この段階にたどり着くために、会議を行なっているはずです。
 第二段階のコミュニケーションが成立すれば、みんなの考えが通じ合い、思いが通じ合い、情報が行き渡ります。いわば、心が一つになります。こうなれば、全員が一丸となって経営・業務に当たることができるわけです。
 うちの会社はコミュニケーションが足りないという言葉をよく耳にします。社内でコミュニケーションが成立しなければ、それぞれの思いや考えはバラバラのままですし、持っている情報もまちまちになってしまいます。
 コミュニケーションが足りなくなる原因はいろいろと考えられるのですが、その一つとして会議がコミュニケーションの場になっていないことがあり得ます。折角の機会を生かしきれないのは、もったいない話です。コミュニケーションを深めて、みんなの力をひとつにまとめる会議を実現したいものだと思います。

異質の協働

 人は、みんな個性を持っています。積極的な人もいれば、慎重な人もいます。明るい行動派もいれば、静かで思慮深い人もいます。おおづかみに考える人もいれば、細かいところに気配りする人もいます。年齢の違い、経験の違い、男性・女性の違いもあります。このような違いは、日常生活の中で、また仕事の中で、知らず知らずのうちに形となって現われます。
 会社では、このように異質な人たちが、それぞれに役割を担い、それぞれに立場を持って働いています。だからこそ会社が成り立つのだと思います。
 異質な人たちが、同じ目的・目標に向かって、協力して仕事に取り組むことを、異質の協働と言います。異質の協働は、共通の基盤を共有している人々の間で成り立ちます。
 人々が共通の基盤を共有した上で、自分の持っているものを出し合あうことによって、異質なものが足し算で働きますと、より大きな仕事、より質の高い仕事が実現できます。さらに発展して掛け算で働くようになりますと、その力はより大きくなり、すぐれた成果へ近づくことができるのです。
 会社における会議は、異質の協働のための共通の基盤を築く場となる貴重な機会です。
 会議に参加した人同士が、異なる見かた考えかたを出し合って、互いに学び合い、磨き合い、補完しあえば、内容が豊かに育ちます。そこから、異質なものの足し算や掛け算が生み出されるのです。
 大きな心で異質な人を受け入れて、前向きに協働することができれば、今後が大きく開けてくるにちがいありません。

浪 宏友(本名:中原常友)
詩人・仏教研究家・経営コンサルタント
妙法蓮華経と原始仏教を学び続けて70年
宗教ではない仏教「ビジネス縁起観」を開発
1940年(昭和15年)生

namiをフォローする
ビジネス